男子シングル銀メダリストのプルシェンコ選手が、「4回転を飛ばない金などありえない」と、ライサチェク選手の金メダルに異を唱えた問題です。
わざと1位の表彰台をまたぐなどの挑発的な行動をして、物議をかもしました。日本のメディアにもずいぶん叩かれました。
彼は本当に悔し紛れにそんな行動を起こしたのでしょうか?
私がフィギュアスケートに夢中になったのは、ちょうど10年くらい前のことです。
その頃、男子フィギュアには、二人のロシア人トップスケーターがいました。
アレクセイ・ヤグディンと、エフゲニー・プルシェンコ(今回の銀メダリスト)です。
二人は幼い頃から共に、ロシアの有名なアレクセイ・ミーシンコーチに師事していました。
しかし、ミーシンコーチが天才肌のプルシェンコを特別に可愛がったため、ヤグディンはミーシンの元を去り、単身アメリカに渡ります。
そしてタチアナ・タラソワコーチ(いつも毛皮のコートを着ている体の大きなおばちゃん、現在浅田選手のコーチ)の元で、才能を一気に開花させました。
以後、ヤグディンとプルシェンコは、他を圧倒するジャンプ力とスケート技術をもって、互いを至高のライバルとして争い続けることになるのです。
二人は常に互いを意識して、いかに相手に勝てるかを競い合っていたので、スケート技術はみるみる進化していきました。
当時まだ成功する人が少なかった4回転ジャンプ、その4回転ジャンプを含んだ4-3-2のコンビネーションジャンプ、彼らはこれを次々に成功させ、国際大会の表彰台を独占し続けます。
あまりに高いジャンプ技術とステップ&スピンのスピードに、他のライバルたちは終始3位以下を争うはめになりました。
そして2002年のソルトレイクシティ五輪、二人の宿命の頂上決戦は、結局ヤグディンの勝利に終わりました。
「努力の人」が「天賦の才能」に打ち勝った瞬間でした。あの時のヤグディンには王者の風格さえ漂っていました。
ところが、そのソルトレイク五輪で、フィギュアスケートペアの判定に不正が発覚したのです。
当時の判定システムは、9ヶ国の審査員それぞれが、誰にどんな点数をつけたか一目でわかる方式だったので、不正判定をすることが不可能でした。
そこで行なわれたのが、いわゆる国家同士の談合で、「A国がB国を勝たせる代わりに、B国はA国を勝たせる」というものでした。
この事件を機に、フィギュアスケートの判定方式が見直されることになりました。
2008年頃から本格導入された新採点方式では、9人の審査員中7人の判定がランダムに選ばれ、どの国の審査員がどんな点数をつけたかわからないようになっています。
しかしこれも、審査員の匿名性が増したため逆に審査員買収がしやすくなったと非難されています。
そして何より問題なのは、ルール変更後の判定基準です。
新しい採点システムでは、より難易度の高いジャンプを跳ぶよりも、平易なジャンプをきれいに着氷したほうが点数が高くなります。
つまり、4回転ジャンプにチャレンジするよりも、3回転や2回転など失敗の少ないジャンプを無難に跳んだほうが、高評価につながるのです。
また、演技の構成点(全体のバランスや曲の理解度、ステップの優雅さなど)の比重が高まったため、判定が審査員の主観に左右されやすくなってしまいました。
これはとても危険なことです。
フィギュアスケートはとても美しい競技ですが、あくまでスポーツです。そして選手たちはアスリートです。
アスリートは本来、より高い技術、誰にも真似できないスピードや高さを目指して挑戦をし続けていくものです。
ヤグディンもプルシェンコも、そうして競い合い、勝つために死に物狂いで努力したからこそ、4回転を軽々と跳べるようになったのです。
日本の本田選手でさえ、ソルトレイク五輪では4回転を数回跳びました(上位の二人があまりに凄すぎたため結局4位に終わりましたが、この双壁の時代に4位は凄いことです!彼は本当に優れた選手でした)。
ところが、判定方式が変更になり、回転数や高さよりも「確実さ・美しさ」が重要視されるようになってしまったため、多くの選手が「確実に点を稼げるよう、難しいジャンプには挑戦せず、よりキレイにまとめよう」とし始めてしまいました。
その結果、現在男子シングルで4回転を跳べる選手はほとんどいなくなってしまいました。
挑戦することが無意味になってしまったからです。挑戦しないから、選手の技術が年々退化してきているのです。
もちろんフィギュアスケートには美しさや高い芸術性があればそれに越したことはありませんし、評価されるべきです。
しかしそれはあくまで、高いスケート技術に裏打ちされたものであってこそ価値があると思うのです。
そしてスケート技術の評価は、できるだけ主観的要素を取り除くべきです(そんな曖昧な基準だと、逆に不正採点が入る余地ができてしまいます)。
今回のバンクーバー五輪では、この構成点をうまく利用し、難易度の高いジャンプを避けて「美しくバランスのよい演技」をしたライサチェク選手とキム・ヨナ選手が、順調に点数を稼いで金メダルを取りました。
4回転を成功させたプルシェンコ選手、4回転に挑戦した高橋選手、トリプルアクセルを2回跳んだ浅田選手が負けてしまいました。
キム選手のコーチであるオーサーは言います、「構成点だよ。構成点を効率よく稼げばいいんだ。それが現在の採点システムなんだから、それに合わせたプログラムでなにが悪い?」と。
理屈的にいえばそうです。しかしそれは、限界に挑み続けてより高みを目指す、スポーツ選手としての誇りと使命感からはかけ離れた考え方ではないでしょうか?
プルシェンコ選手は、判定方式の変更に伴って選手たちが高い技術を競い合うことをやめ、より「美しく安全な」演技で高得点を稼ごうとすることは、競技としてのフィギュアスケートを衰退させてしまうと考えていました。
ソルトレイクで銀、トリノで金をとり、年齢的にもピークを過ぎた故障だらけの身体にも関わらず(フィギュアスケート選手のピークは大体20歳前後)、今大会に参加したのは、それを証明するためでした。
最も難易度の高い4回転ジャンプを成功させ、上体の固定されたハイスピードのステップシークエンス、軸のまったくぶれないバレエ仕込みの正確なスピン技術を披露したにも関わらず、新採点システムでは自分が負けてしまう。皆さんどうです?おかしいと思うでしょう?4回転を跳んだ選手が負けるなんて。
表彰台での空気を読まない行動は、プルシェンコのそういうアピールが含まれていました。
そうして観客に、新採点システムへの疑問を感じて欲しかったのです。
自分が悪者になってでも、世界中に問題提起をしたかったのです。
彼の行動からは、フィギュアスケートに対する深い愛情と、アスリートとしての崇高な使命感を感じます。
並々ならぬ努力によって高度な技術を手に入れたプルシェンコにとって、自分たちが作りあげてきた進化の歴史をわざわざ後退させてしまうような採点システムに疑問を呈するのは、当然のことだったのでしょう。
現に、ライバル選手のコーチたちの多くが、プルシェンコ選手の言説を支持するコメントを残しています。
私は個人的には、女子シングルでは浅田選手よりキム選手のファンです。
彼女の情感あふれる演技力は非常に美しく、観る者の心を魅了します。
彼女の類まれな表現力に加えて、アスリートとしてのジャンプやスピン技術を同時に高めていけば、必ず本物の世界チャンピオンになれるでしょう。
彼女にはそれだけの才能があります。努力をし続ける根性もあります。
だからこそ、今の彼女のスケート技術のままで優勝を与えられるのは、彼女自身のためになりません。
頑張っていても、それは安全な籠の中でクルクルまわっているだけに過ぎないということを、新たな可能性への挑戦を放棄してしまっているのだということを、気づかされないまま育つのはかわいそうです。
彼女にはぜひ、今度こそアスリートとして、浅田選手と同じ舞台で戦ってほしいと思います。
いろんなところでプルシェンコ選手が非難されていたので、いてもたってもいられなくなり、熱く語ってしまいました。
でも、こういったバックグラウンドを知ったうえで見るのとそうでないのとでは、景色の見え方に大きな差があると思うのです。
自分の主観やまわりの人の噂・評価に左右されるのではなく、自分で情報を集め、自分で見て聞いて、できるだけ客観的にものごとを知ろうとすることは、とても大切なことだと思います。
私は相手を知ろうとするとき、いつもそう心がけています。
興味のある方はぜひ、ヤグディンとプルシェンコの演技を観てみてください。私はいまだにこの二人に勝るスケーターを知りません。
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